クリエイティブな仕事を精力的に続けている知人。
「自分のアイディアや商品には、いつも全然隠し事無し」と
これまでに何度もからりと話していました。
それをさらりと聞き流していました。(もう4年も。)
最近になって、その言葉の裏側に、
もっと重いものが横たわっていたのに気づきました。
「アイディアや商品を発表したら、あっという間に
そのコピーが雑誌や店頭に現れるんだよ」と。
専門家のその人の目でチェックすれば、
どのアイディアをどの程度盗んで
どのようにアレンジして発表されたのか、
何もかもあっという間にわかるのです。
明るく前向きに見えるこの人が、
不眠症に陥るくらいに悩んだ日々もあったのだ、ということを
改めて知った私でした。
「真似をされる、ということは、
真似した人が、私の考え出したものを
おもしろい、あるいは、良く出来ている、
と思ってくれた、ということ。
その事実を、誇りに思うことにした」と、
澄んだ目で、きっぱりと話してくれました。
その境地に達するのに、どれだけの思いがあったか、
ものづくりをする端くれのわたしにも全てではないにしても想像できます。
ほんとうにずしりと、きますね。
投稿情報: Asa | 2007/09/02 20:59
Asaさん!
そういうふうに読み取ってくださると、私もとてもうれしい気持ちです。
この人は、そう思える自分自身をも、きっと誇りに思って
前を向いてしっかり進んでいるのですね。
尊敬できる人です。
投稿情報: calvina | 2007/09/03 18:03
カルビーナから投稿のつづきです。
『BRUTUS』07年9月1日号に、宇川直宏(うかわ・なおひろ)さんのコメントが紹介されています。
68年生まれのデザイナー、VJ、文筆家、現代美術家、大学教授です。
「自分の内側にあるものだけで組み立てた純粋なオリジナルって今は成立しづらくなってると思う」
「積み重ねられた歴史の中で、さまざまな表現のバリエーションはすでに出尽くしている」
んー。これに異論ある方は、おられませんでしょうか??
いろいろと考えさせられますねぇ。
投稿情報: calvina | 2007/09/04 19:44
ものすごくわかります
ワタシは子供の頃から真似されるのが異常なほど嫌いでした
Aがよくてもみんなと一緒だからという理由で
そんなに好きじゃないBを選ぶこともよくありました
ものづくりしているとそういう場面はよく出くわします
しかし、ワタシもその方と同じで
『真似されたいくらい良いものなんだ』と思うのと同時に
『でも、みんなが真似したくてもできないくらいのものを作ってやろう』
というように励みにすることも多いです
もちろん、職種によってまた違うでしょうが・・・
さるがお芋を海水で洗って食べるのが、
何百キロか離れた海岸でも同じようなことが起きている・・・
という話があります
想いは飛び越える
だからわたしが考えたアイディアも
きっと誰かが考えているのではないか?と思うようになりました
投稿情報: kaico | 2007/09/10 19:50
kaicoさん!
コメントどうもありがとうございます。
ホントにいろいろと考えさせられています。
私の周辺にも、ものづくりを生活の中心に据えている方が
たくさんおられるので、そのおひとりおひとりから
学ぶことも多いです。
私の文章にしても、やはり同じようなものだと思っています。
投稿情報: calvina | 2007/09/10 20:31