洋画家の清原啓一さんが、まだお若かった頃の、
故・棟方志功さんとの交友を回想して描かれた短いエッセイを、
数年前に、美術雑誌のバックナンバーの中で見つけました。
「「『神さまと遊ぶ仕事』をしなくては」という棟方さんの言葉が
忘れられない。天国で棟方さんに良い報告ができるように
自分も精進しようと思う」というようなことが書いてありました。
以来、どのようなジャンルのアートに触れる時にも、
また、通常の自分の何気ない生活を編む時にも、
この言葉は常に私の心の中にとどまり、
ある種の大切な「ものさし」の一つになっているのです。
その清原さんが、今月11日に亡くなられました。
(私の‘超苦手’な、鶏を好んで描かれた人ですが、
その他の作品、例えば柔らかな薔薇の花なども、
強く記憶に残っています。)
今頃、清原さんと棟方さんは、
仲良く晴れ晴れとおしゃべりしておられると思います。
お二人の作品そのものと私との距離は、
今でもそう近いものではありませんが、
もしも、この言葉、この一点だけで、お二人と結びついていたとしても、
ある種のお恵みに近いものを受け続けている、と感謝をしています。
それは、一方では、アーティストが世に遺す足跡や影響力というのは
その作品のみではない、生きているうちに撒き散らした言動すべてが
どこかで誰かの中に化学反応を起こし、生き続けるのだ、
ということを、示してもいると思います。
※もっと清原啓一さんにご興味ある方は、例えばこちら↓↓↓から
http://www.ichimainoe.co.jp/index/kiyohara_keiichi.html
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