某社がいきなり「社内に公用語として英語を導入する」と発表しました。
「世の中の流れを考えると当然」「避けられない」という論調が多いようですが
私は「そんなに単純じゃないぞ」とずっと考えています。
会議や交渉の微妙な駆け引きに、第一言語ではない英語で勝てるのか、
というと、それはそれは難しいことだと思います。
プレゼンや会議で「半分もわからんなー」という出席者がほとんどでも
皆「100パーセントわかっているフリをしている」状態だったら・・・
これが長く続くと、どうなっていくのでしょうかね。
「ここんとこが、よくわかんなかったので、日本語できちんと説明してください」と
手を挙げてまで発言する勇気のある人、ちゃんといるのかなー。
言葉の見えない壁や、デリケートなニュアンスを
どう乗り越えるのか、という意味で、例えば
「莫大な費用をかけてでも、まず通訳・翻訳のフォローを
きっちりと進めてゆき、長期計画で英語化を進めます」
というような、企業側の努力が見えるべきではないかと思うんですね。
特に、公用語化を目指すのであれば、滑り出しの時期の対応を
失敗すると、これまでに抱えていた優秀な人材のうちの一部や
ノウハウ、すでに構築された親密なコミュニケーションを
失ってしまいそうな気がしてしかたがないんです。
これから採用する人材は、まあ良いとしても、そんな(英語重要視の)基準で
採用してこなかった現行の社員たちに、どのようなフォローができるか、
ということの中に、本当にその企業が信頼するに足るものであるのか、
という問いへの答えが、見えてくるのではないでしょうか。
「勤務時間後に自腹で英会話のレッスンを受けさせる」という以外に
企業側では何をどのように社員のために努力しているのか、という点を
もっと知りたいと思います。
個人の努力、というのは、必要だと思う人は当然重ねるでしょうから
ここでは論外。
(この突然の公用語化の発表の別の解釈としては・・・
「生き残るために、日本の会社というアイデンティティーを切り捨てる」
「リストラ、人員削減の口実を作る」ということも考えられます。
ま、よその会社のことだし、社運をかけてやっておられることですから
門外漢の出る幕ではありません。)
EUの例になりますが、通訳・翻訳業務・各国語への公式文書の作成や
保存のために、毎年莫大な費用をかけている、と聞きました。
互いを尊重するためには、必要不可欠な費用なのでしょう。
EUのお財布は、これからもそれを賄えるだけ膨らんでいるのでしょうか。
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