新聞のインタビュー記事を読んで、「なるほど、麿さんらしいな。
舞台で表現の仕事をする人たちの考えを代弁しているな」と
思っていたら、遠方の友人が「(震災以来)今まで
もやもやしていた思いが、少し雲が晴れたような思いがしました」
と、なんと、そのコピーを送ってくださいました。
似たようなことを考えているんですね。
自分たちだけの話にしてしまってはもったいないかな、と
ここに一部のみ抜書きし、紹介させてもらいます。
『喪に服す気持ちはあるけど、「がんばろう」って言葉だけでも
ないと思うんだな。
(途中割愛)
自粛って方向で、ひょいって簡単に解決されちゃうのが
面白くねえんだ。
(途中割愛)
震災は、被災地の遠くにいる人たちの胸にも深く矢を突き刺した。
日本人みんなで十字架を背負ったんだ。
だからこそ、心を癒す花が求められている。
オレたちは淡々と踊り続けるよ。
死や自然を畏れて祈り、祈るために踊るしかないんだ』
(2011年4月23日 朝日新聞 聞き手・吉田純子)
※ この記事の中の名前表記は「麿 赤児」ですが、
「麿 赤兒」のほうが浸透しているかもしれません。
舞踏カンパニー「大駱駝艦」主宰。
俳優の大森南朋さんは麿さんの次男。
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