「あの日」から半年。
直撃を受けた場所からは遠いのですが、東北に行ってきました。
ちょうど半年後の9月11日には、秋田県鹿角市におりました。
お邪魔した鹿角(かづの)では、3.11の深刻な被害はなかった
ということですが、それでも同じ東北地方であるということから、
被災者の痛みを共有されているのだということは感じました。
(被災者の受け入れも実行されました。)
壊滅的だと言われた地域に入らなくても、東北に足を踏み入れただけで
どれほど震災や原発事故の影響が大きく、深刻であるのかを
(微々たるものですが)思い知らされ、考えさせられました。
たまたまご一緒した人たちの中に、仙台や松島で震災に直接見舞われた方が
幾人もおられて、直接の体験談をお聞きすると、私のチェックしていた報道が
けっして充分なものではなかったことがわかります。
「目の前の山がゼリーのようにブルブルと揺れ、
走行中の道路が蛇のようにうねった」
「家は高台で助かったものの、停電していた数日間は、
何が起こったのかほとんどわからない状態のままだった。
最初にテレビに映って知った被害は、(遺体の様子のお知らせも含めて)
たぶん全国放送のニュースよりも、ものすごかったんじゃぁないかと思う」
・・・などと。
まだまだ3.11の災害は進行している、というのが私の受けた印象です。
東京の人も東北の人も、震度3までくらいの地震には慣れがあるようです。
でも私は、わずかな揺れにさえ、いちいちびくびく神経質になってしまいます・・・。
ましてや、放射能の影響のことを考え始めると、心が落ち着きません。
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