このドキュメンタリー映画をまた観て、「何が、何故こんなにすごいのか」を
もう一度、一から考えようとしています。
映画が公開された2009年秋から早くも2年が経過しました。
いろいろな人がいろいろな感想を発進していますが、
私は「どう考えれば良いのか未だにわからない」状態。
今でも、MJの魅力や能力のごく一部しかわかっていません。
ですから、このようにつぶやくのも今回が初めてです。
(死去直後には、自分からのコメント発信は言わずもがな、
他からの発信を受け止める余裕さえもありませんでした。)
ふーん・・・。
センサーというか、‘身体の中にある目盛りのようなもの’の感度が
普通の人間よりもケタハズレに高かったと思います。
音を聞き分ける時も、自分が歌う時も、身体でリズムを刻み踊る時も、
他の共演者たちが観客に向かってアピールするのを演出する時も、
とにかく、凡人よりもっともっと細かい目盛りで、何がどれだけずれているのか、
はたまたぴったりと合っているのか、はまっているのかを把握できる能力。
これが高いからこそ、どの曲もきっかり正確に可視化し
しかも自分のアイディアをふんだんに盛り込みながら
より魅力的に表現できるのでしょう。
正確な可視化の能力というのは、リズミカルな作品よりも
むしろバラード系の表現の中に、より効果的に
使われていたのかもしれません。 特に、晩年に近くなると。
彼と同じ時期に、同じフィールドで、同じ職業を生業にしていなくて、
本当に良かった!
実は、もっともっと細かくきっかり「はめる」ことができるところを、
わざと「人間らしく」見せるために、ほんの少しだけずらしているように
見えるところも多々ありました。 サイズで言ったら、ミクロ単位でのズラシ。
もともとリハーサルの録画なので、力を100パーセント出さずに
周囲を伺い、他人からはわかりにくい工夫を入れて実験を
繰り返しているようにも見えました。
「凡人が努力して辿り着く境地」ではない高みに到達していました。
もう、生きているうちに、生きている人間よりも高いところに
昇ってしまっている人が、本当にいるんだなあ、と改めて思います。
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