封筒に貼ったとっておきの切手が、ほんのちょっぴりゆがんだまま
くっついてしまったとか、部屋のディスプレイに使っていた箱の
リボンがいつのまにか虫に齧られていたのに気づいてしまったとか・・・
普通の暮しのほんの些細なところに、気分がスンと落ちるエアポケット
みたいなものがあって、それに遭遇する、しかもそれが
身近で短期間内に重なって起こると、人間案外簡単にへこむものです。
些細なことであればあるほど、‘へこみ’は馬鹿にできないダメージに
繋がることもあるんですよね。 誰にも見えない‘へこみ’。
避けては通れないけれど、できれば総数が少ないほうが助かるのかな。
与えられた時間をできるだけほがらかに使えたら、うれしいのですが。
先週は、104歳で天寿を全うされた知人を送りました。
晩年は光を失い、設備の整ったケア施設に長い間入っておられ、
ほとんどの友人は既になく、親族もあまり寄り付かれることが
ありませんでした。 最後の最後もお独りきりだったそうです。
(このこと自体でへこんでいる、と書きたいわけではないんですよ。)
子どもの頃、「人は必ず死ぬ」と気づいて、怖くてたまらなくなった
記憶があります。 今は単純な恐怖や命の長短よりも、
「そこへ至るまでの過程と内容の充実」とか「それが来るタイミングや、
その時点でどのような環境に身を置いているのか」、そして
「それまでの間に、いったい自分は命をどう使うのか、あるいは
使いたいのか」などということへ、関心が移ってきたように思います。
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