文字どおりの新発明はそんなに頻繁に出るわけではないから
ほとんどのものは模倣からの発展か単純なコピーかあるいはコピー以下か、
ということになるのでしょう。
そういうことを理屈ではわかってはいるつもりですが、このところ、たて続けに
「あ、この人がコピーしようとしている大元を知ってる」というものを偶然に
見つけてしまい、理由も正確にわからないまま落ち込んでいます。
ま、悪気の無いことがほとんどでしょうし、むしろ(意識するしないにかかわらず)
「その大元が好き」あるいは「良いと認めている」故に、ということなのでしょうし、
これを世の人の多くは「影響でしかない」と開き直るのかもしれませんが、
こういうのはやっぱり気分が良くないものです。
情報過多と言われる時代には、何がどれだけコピーされているのかは
うようよしている雑多なものの中に埋没してしまって見えづらいし、
清濁の判別も、その受け止め方も、ますます難しくなっていると思います。
そういえば、「シェア」(share)という単語の扱いにも敏感になっています。
コピーとシェアは同じではないはずですから。
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