広島の安佐南区には、随分前に親族が仕事のために住んでいた
ことがあり、一度だけ訪ねたことがあります。
現在個人的な知り合いはおられませんが、被災された方々のことが
どうしても他人事とは思えません。 かと言って、無力です。
同じ国内に住み、今日も普通どおりに豊かさを享受している人たちが
大勢いるなか、一瞬にして多くを失う人も絶えないという現実。
その人たちが孤立するような形で「‘あちら側’に置かれている」
という現実。 それは、たいていの場合、長期間続くのです。
自分が‘あちら側’にいたら、どうして欲しいか、また、何ができるか、
翻って、今のこの自分には何ができるのか、と
一日のうちに何度も何度も考えてしまいます。 (考えるだけです。)