先日、幼稚園児を叱り飛ばしながら歩いている母親を見かけました。
「なんでできなかったの?どうして?説明してよ!
あれだけ練習したのに!あれだけわかってるって言ってたのに。
ご挨拶は元気よく、しっかりやってよって、ママ言ったよね?」」
華奢な身体つきの男の子は、もじゃもじゃ天然パーマに下がり眉、
半ズボンから出た足がヒョロヒョロ。
泣きじゃくっているのがもう自分では止まらなくなっていました。
「ごめんなさい。ごめんなさい。どうしてだかわからない・・・」
何かの面接だったのでしょうか。それともオーディション?
男の子はおめかしさせてもらっていましたが、母親はカジュアルな
服、足元は汚れたスニーカー。
何やら荒んだ雰囲気が、なおさら私の心に突き刺さったのでした。
「どうしてできないの?」「どうしてできなかったの?」という質問が
私は大っ嫌いです。人間、いくつになっても、自己コントロールや
自分の行動が生み出す結果のすべてを自分で完璧に責任をもって
引き受けられるはずもなく、時には「ああ、このまま進んでいけば
マズイ状況に陥る」とわかっているのに、自分では止められないことも
あると思うんですよ。人さまに迷惑がかかってはいけないのだけれども。
それはちょうど、下手な自転車運転が、ヨロヨロッと止まらないまま
「マズイ」「マズイ」って本人が思っているのに、危険な溝に
向かっていき、しまいには落っこちてしまうようなイメージです。
学校や職場でも、「どうしてできないの?」という言葉によって
傷つけられている人たちが後を絶たないのではないか、と思います。
コロナ禍や酷暑も手伝って、心がグラグラ揺れている人も増えているのでは。
公道で、店先で、役所の窓口で、乗り物の中で、わざと大声を出して
自分の主張をみんなに明らかにしている例も、たびたび見かけるように
なりました。‘人の心のグラグラ’が引き起こす災厄もあると思います。
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