香りを、そして、嗅覚を、どのように映像作品としてあらわすのか、
という一点に、とても興味が湧きました。
文章でもそうですが、もともと捕らえることが非常に困難なものを
いかに形にあらわし、残すことができるのか、ということは、
永遠に100点満点が取れないテーマ。
それゆえに、最も興味あるテーマの一つでもあるのです。
大きくアップにされる鼻。
深く息を吸い込む時の音。
こういうものは、予備知識無しでも、映画を観る前から想像できるものですね。
ベルリン・フィルハーモニーと、指揮者のサイモン・ラトルが
何故あのように奮闘しなければならないのか、
私にはそれがよくわかりませんでした。
(これは、音楽の出来とはまったく別の問題です。)
映像が、すでに充分に語り尽くしている、あるいは、
語り尽くそうとしている箇所には、余計な音は必要ない気がしたのでした。
言い換えると、映像だけで、嗅覚を描き、語らせようとする努力を
たぶん私はもっと観たかったのでした。
最も「余計なお世話だ」と個人的に感じた音は、
ラストシーンの香水の最後の一滴に「付けられた」音でした。
※3月10日追記:
朝日新聞「Be english」
(ゲーリ・スコット・ファイン氏の「映画で学ぼう」のコーナー)に
この映画にちなんだ一文が紹介されました。
The soul of being is their scent.
ダスティン・ホフマン演ずる落ちぶれた老香水調合師が
若い弟子(主人公)に香りの奥深さを説く場面です。
「人の魂(心)がその人の香りなのだ」(直訳)
ファイン先生の訳は「命の源は香りにある」というものでした。