第一回大江健三郎賞は、長嶋有さんの『夕子ちゃんの近道』に。
18日に行われた、大江さんと長嶋さんの公開対談を要約した記事が
朝日新聞(5月27日文化欄)に掲載されました。
この賞のご褒美は、賞金ではなく、海外での翻訳出版で、
このことでも人々の注目を集めています。
対談の中の次の一言が、心にひっかかって離れません。
大江:自作を翻訳で読むと、自分の人物像に新しい光が当たる。
翻訳者の仕事って、本当に重いと思います。
「ある意味、楽天的でなければモタナイ」と言う人もいるくらいに。
小説の場合には、翻訳されても、作者の意図している人物像と
同じ角度に、同じ量と質の光が当てられるべきものかなあ、と
勝手にうすぼんやりと考えていましたが、
大江さんのこの言葉には、許容範囲のもっと幅広い、奥深い、
確固たるものを世に送り出しているのだ、という自信なのか、
余裕なのか、ある種の寛容さがにじんでいるように
私には感じられたのでした。
また、大江さんの場合、自作が翻訳されたものを
自ら読みこなしてしまう語学力も備えている、ということが
このような発言の元になっているのではないのでしょうか。
勉強をしても、しても、なかなか前に進まない、
むしろ、維持していくだけでも難しいというのに、
ちゃぁんと力を蓄えて大きくなっている人たちが、いるんですよね。
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