国宝、鑑真和上像を鑑賞することができました。
唐招提寺にはまだお訪ねしたことがありませんが。
知らなかったことは、鑑真が「日本へ渡ろう」と決心なさったのが
50代も半ばを過ぎてからだったということ。
そして、何度も渡航に失敗したうちの何度かは、
(当時は無許可で外国へ出ることが許されないなか)密航を企てて
それが身近な人の密告によってばれてしまったからだった、ということ。
(私は、これまで全部の失敗は、船が難破したせいだと勘違いしていました。)
「お人柄や徳までよくあらわされている」と愛されている鑑真和上像を
何度も角度を変えて、観察しました。
左頬側の斜め45度あたりから観ると、
慈愛に満ちた笑みを浮かべておられるように見えました。
右頬側の斜め45度あたりから観ると、
悲しみや怒りをかみ殺しておられるように見えました。
口元の表情は、この上も無く穏やかなようでいて豊か、つまり一様ではなくて、
こちらの心の動きや‘ありよう’を鏡以上に映し出していたのかもしれません。
※国宝「鑑真和上像」と言われても、どんなのか思い出せない人は
こちら↓↓↓からお顔をどうぞ。(左頬のほうから写したものです)
http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2007/fs_ganjin.html
見た印象は、なんというか美しいですね。
古代?の人たちは命懸けで事をなしてゆくから凄いですね?。
思いの深さからして違う気がしますが、いろんな思いや経験からにじみ出る美しさにはかなわないなぁとしみじみ感じました。
当然ながら、現代っ子の私にはこの美しさはとても無理です(汗)
投稿情報: ナッツピー | 2007/07/21 14:14
ナッツピーさん!
本当に。鑑真さん、もう高僧としてすっかり落ち着いていたのに
若い人たちは誰も「私が日本へ」というばかりか、
どちらかと言えば「おとどまりいただきたい」ってお止めしたらしいです。
密告も、そんな気持ちからだったのかも。わかんないですけど。
当時は、「何をやるにも、なんでもすぐ命がけにならざるをえない」
という時代だったんですねぇ、きっと。
何かやろうとするだけで、自動的に修行になってしまっていた、というか。はぁ~。
投稿情報: calvina | 2007/07/21 19:00