先日、スウェーデンで、こんな話題を耳にしました。
欧米の5月から6月にかけては、
学業でも仕事でも、区切りの季節にあたります。
ここを乗り越えると、楽しい夏が本格的にやってきて、
ジューン・ブライドが誕生したり、バカンスに出かけたりする、というわけです。
大学でも、卒業年には、実習、論文、諮問や試験などなど、
この時期にはいろいろな動きがあります。
先日から、ある美大生が「卒業制作」と称して
高所から飛び降り自殺を演じ、
(実際には、高所をうろちょろしたあげくに保護されました)
警察はじめ、たくさんの人たちに迷惑をかけたあげくに
「これはアート。私の卒業制作活動の一環」と主張した、というのです。
メディアの取材に対して、この学生は、
「私の卒業制作作品(展示)もすべて皆さんに鑑賞してもらいたい。
それまでは、一切説明はしないつもりである」と主張したらしく、
この展示をめがけて、遠方からも興味津々の人たちが
集まっているということでした。
この学生はすでに成人しているようですが、
本人よりも、指導教官が「いったい何をやっていたのか」と
たたかれる対象になってしまっていました。
どこへ行ってもこの話題でもちきりでした。
アートに限界はあるのか。
そこを越えた先にでなければ、本当に自分の表現したいものが
もし無いのだとすると、アーティストはどのように進むべきなのか。
多くの人たちに迷惑をかけ、スキャンダラスな事件まがいのものを
起こすことで、効率良く売名しているのではないか、という意見も。
この例の場合、自殺に至る行為そのものが、
アートだとみなされるべきものなのかどうかも、
さまざまに議論されているようです。