ただ一人だけ、ずっと長い間私のことを
こう呼んでくれていた人を失いました。
不覚にも、失ってみてから初めて、このことに気づいたのでした。
これから先、私の命が続いている間に
私のことをこう呼んでくれる人が新たに現れるでしょうか。
可愛がってもらった記憶、たくさんの良い思い出、
また、亡くなって初めて別の方から初めて聞くエピソードや
私の中に残されたもの、そして気づきが、
これからも育つのだということを、すでに感じ始めています。
ユーモアのセンスを常に忘れない日常、
それでいて学究肌に似合いの静かな生活には、
学ぶところが大きかったと、今さらながらに思います。
(普通に)悲しむ自分の他に、どうやら一歩離れたところから
この一連の出来事をじーっと冷静に観察している自分がいて
ライターの性分なのか何なのか、嫌だなあと思う瞬間もあります。
互いに生まれ変わり、もう一度この世で出会うことがあるのなら、
今度は父と娘としてではなく、教師と生徒として、というのが
二人ともにとって、より愉快なのではないかと、
もう何年も前からずっと考えてきました。
あ、でもこの場合は、「ミッチ」とは呼んでもらえませんね・・・。
公の葬儀が無事に終了しましたので、これからは日常の中で
ゆっくりと故人を偲び、故人を心にとめて過ごす普通の生活に戻ります。
これまで多方面から支えていただいたたくさんの方々に
心よりの感謝を申し上げます。