「爆笑問題のニッポンの教養」スペシャルで
東京藝術大学が取り上げられたのを観たのは、
8月17日のことでした。 (詳しくはこちら↓↓↓を。)
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20090817.html
一旦、思考が体内に沈み込み、約一ヶ月を経て
少しずつ浮かび上がってきています。
パイプオルガンというマイナーな楽器に打ち込みながら
「将来を考えるとどうも不安だ。(精進の成果を発揮する場が
非常に限られている)」という意味の学生(女子)のコメントに対して
「売り込む工夫や努力は、覚悟があれば、いかようにもなる。
裸でオルガン弾くことだってできるはず」というような発言が
飛び出したのが、心に引っかかっていました。
(この記事だけお読みになる方、「裸発言」は、
爆笑問題側から出たわけではありませんので、念のため。)
極論。 でも、一理あるかもしれない。
ただ、別の攻め方もあるかもしれない。
もともと、パイプオルガンがどのように生まれて使われたのか、
ということを考えると、教会や教会音楽と結びつきます。
日本の全人口に対するクリスチャンの割合は、非常に低いものです。
その中で、日曜日毎にきちんと礼拝を守っている人は、
さらに少ないと思われますし、立派な教会を持たない団体もあるでしょう。
立派なオルガンを持たない団体もあるでしょう。
パイプオルガンで、賛美歌の「カラオケ」を録音する、
というような、別の切り口やアイディアはどうなんでしょうかね。
本来、オルガンはキリスト教を信じている人たちの
生活とともにあったはずだし、その原点へ戻って
生活の中に切り込んでゆけるかもしれません。
ま、宗教関係者の‘頭の柔らか度’も、ここで問われるわけですが。
一方で、「なんでパイプオルガンだから教会音楽の周辺ばかりを
かしこまって弾くのか」という発想が、もっと学生や指導者からも
湧いてきても良いのかもしれません。
パイプオルガンに限らず、
立派な演奏会で弾くチャンスだけを望む(というより、狙う)、
パフォーマンスだけで生活をまかなう、というのは、
特にこの国では難しい・・・むしろますます難しくなっているように思います。
そもそも、立派な演奏会、正統派のソリスト、というのは、何なのでしょうか。
※ だらだらと長い記事になりました。
当ブログの中では、アート関連の記事が長くなる傾向があります・・・。
私のライフ・ワークと結びついているので、つい。