ストレスがたまっていたのを神さまがご覧になっていたのか
生の美しい歌声を聴くチャンスが巡ってきました。
韓国のミュージカル女優、イ・ソジョンさんのコンサート。
ミュージカルのヒット・ナンバーと、ショパンの有名なピアノ曲に
彼女自身が英語の歌詞をつけて編曲した作品群を、
ピアノの伴奏1本だけで、しっかりと歌う、という内容。 マイクは有り。
押しが強いというか、「私はこう歌いたいです」という意思が全面に出て、
「この物語の主人公は、もっとか弱いキャラクターでは
ないのかしらん」と思いながらも、つい引き込まれる、という芸風。
ブロードウェイで『ミス・サイゴン』の主役を射止めた、
という華々しい経歴からも、そのパワーが無ければ、勝ち進み、
生き残ることは難しかったのだな、とは容易に想像できます。
韓国や中国など、大陸のパワーに、日本はどうも押されがちな印象が。
似たような印象を、「奇跡のテノール」と言われたベー・チェチョルさんの
コンサートへ行った際にも持ったのを思い出しました。
声や歌うテクニック、と言うよりも、「意思を打ち出す力そのもの」を
鑑賞し、それに心打たれて、お金を払ったことに納得する、というようなこと。
歌だけではなくて、他のジャンルのパフォーマンスや、
スポーツの国際試合、ものづくりを観ていても感じることですが、
日本人には足りない何かが、同じアジアの別の国の人たちからは
明確に、しかも強く発信されていることが多いように感じます。
日本の美徳は美徳として、
国境を越えてのお付き合いや勝負の時には、
このパワーや明確さも、私は欲しいなと思います。
(「勝負」と書きましたが、その前に、この種のパワーが無ければ
伝わらないところで終わってしまう⇒話にならない、ということもありますよね。)