日本に縁のある人たちにとって、2011年3月11日は、
国自体も生活も考え方も、何もかもが大きく転換する
そんな日になりました。 被災していても、していなくても。
未だ災害の渦中に生きている今は、後世の人たちの認識はわかりませんが
おそらく、歴史上も大きな出来事として扱われるのではないかと思われます。
(いえ、そう扱われるべきもの、簡単に忘れてしまってはいけないものでしょう。)
私のこれまでの人生の中で、実際に頻繁に読み書き、見聞きする語彙の中に
それまでは、(歴史上の記録や遠隔地の報道関連、そして創作物以外には)
「壊滅」「被害甚大」というものはありませんでした。
特に、「壊滅」という言葉の響きと重苦しさには、9ヶ月が経過した
今になってもなお、簡単に押しつぶされそうな気持ちです。
「壊滅」は、この先またいつどこで再会するかわからない言葉である、
ということも、肝に銘じています。
また、「原子力発電所」(Nuclear power plant, Nuke-plant)、
「放射能汚染」(Radioactive contamination)などなど、
この未曾有の災害と原発事故に関連して使用される単語を
英語で勉強して、次々に頭の中の辞書に加えていくことになりました。
これからも、増えることと予想されます。
最近では、政府発表の「収束」という単語が反発を買った例からも
一語の扱い方に、使用する当事者の‘誠’の有無が簡単に透けて見える
恐ろしさを、目の当たりにしました。
「あの日」、「‘普通’が消えた」ように思いました。
「‘普通’は奇跡のような恵みの上に与えられている
非常に壊れやすいものだ」とも再認識するようになりました。
私だけではなく、「‘普通’を発見する度毎に、
いちいち感謝している自分がいるなぁ」という人が、大勢おられることと思います。
震災の爪痕は深く、一般人には「本当に起こったこと」が
未だ開示されているとは思えません。
3月11日について過去形で淡々と扱うことができるまでに
気の遠くなるような時を費やすことになると思いますが
この年の終わりに、少なくともこのようなつぶやきを残して、
次に進む気持ちをおこそうと思いました。
年があらたまるというこの区切りに何の意味も感動も無い、という人が
いつもに増して大勢おられるのだという重い現実を心にとめて。
今年最後に本欄にアップする写真は、
福島県会津地方の縁起物、
起き上がり小法師(こぼし)さまです。
私たちはみんな、共に起き上がり、前に進みます。