今月、日本国内が総選挙で揺れ、結果を待っている頃、ちょうど国外にいました。
そして、現地語のローカルテレビ(ニュース)を見ていました。
(大切な言葉がほとんどわからないなか、文字通り「見て」いました。)
いきなり飛び込んできた衝撃的な映像・・・
オバマ大統領が会見しながら、何度も目尻の涙をぬぐっているでありませんか・・・!
「何かとんでもないことが起こったに違いない」と、英語のニュースに切りかえたところ、
そう、コネティカット州で銃乱射事件が起こり、被害者の中に小さい子が多く含まれて
いることがわかりました。 そこから連日このニュースのチェックで夜更かし。
日本国内にいたら、受け止め方もチェックの方法や頻度も異なっていたでしょう。
平和な地に住んでいる人の中にさえ、この悲報に、
「クリスマス気分や輝かしい新年を迎える高揚感は
ますます萎んだね」と思った方が相当数おられた
ことと思います。 (写真はAP通信より)
一部の勝ち組を除いて、期待や希望を抱くことが難しい世の中です。
(「HOPE」「PEACE」「FAITH」・・・ こういう類の言葉は、
ますます虚ろになっている気がします。 掲げられてもウソっぽくて。)
それでも、健康・・・少なくとも健全な命を与えられ、今ここに存在している、ということは
「未だ先へ進み、そこで何が見られるか、得られるかを、わずかなりとも確認せよ」
という、何か大きな力の後押しが自分に働いている、ということかな、と。
そう考えないと、ヤッテラレナイでしょう。
「何かに期待する」という行為のどこかに、甘えや油断のかけらが潜んではいないか、
という内省も。
それから、もちろん、3.11の津波~福島原発事故のことも、いつも心の真ん中に。
いろいろと思うことがあり、年があらたまる、ということに特別の感慨は
極力持たないようにしていますが、周囲は行事や慣習の目白押し・・・。
静かに新しい暦をめくり、静かに一歩進みます。 来年もどうぞよろしく。
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