対談を読みました。 当時お二人は60代半ばです。
この二人が、もし互いの家族について
いっさい知らない、あるいは感知しない、つまり、
芸術という一点でのみ向かい合って対談したとしたら、
もっとトンガッタ話も飛び出したかもしれませんが・・・。
編集サイドの意図は「通常のインタビューや対談では見られない
プライベートなエピソードや個人的な心情が、ストレートに語られている本を」
ということだったようですが、私には、やや穏やかに流れ過ぎて物足りない
印象がありました。
特に、日本経済の長い疲弊や大震災を経験した後のこの国では、お二人よりも
若い世代が今読みたいと望む内容とは、既にズレが生じている気もします。
ただ、繊細な内容なので、読み返すともっとじわっと‘効いてくる’のかも。
あるいは、もう少し‘寝かせる’ことで、普遍的に残るものが見えてくるのかも。
初読で一番印象に残ったのは、「ディレクション」に関する次のような内容です。
大江:
「いま投げているこのボールは、自分の内面のどこから出てきたのか
ということをまず考える。このボールは僕という個人にとって重要なものだ。
人から借りてきたものじゃない。そのボールをどこへ向かってどのような
コントロールでもって、どのように正確に投げるか。
時にはどのように正確にストライクのゾーンからちょっと外すかということを
考えているんです。」
(下線は私(Calvina)がつけました。)
・・・創作するだけでは未だヒヨッコ。
創作するものを、どこを狙って放つか、と細かく計算・コントロール
できるのが、真のプロの仕事である、ということでしょうか。
「的をどれだけずらすか」というところまで狙う、という仕事は
私には未だ達成できておりません。 そうなる日が来るのかな・・・。
※ 『同じ年に生まれて―音楽、文学が僕らをつくった』
大江健三郎、小澤征爾(対談) 中公文庫
2004年1月初版 580円(税込)
ISBN-13: 978-4122043176
筆者追記:
3月27日、病気療養中の小澤さんが、久しぶりにタクトを。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130327-00001315-yom-ent
投稿情報: Calvina | 2013/03/28 10:44