素晴らしい創作活動をしている人たちのことについて
ここしばらく考えさせられていること。
アプローチの方法も、創作の内容も、それに使う材料も、
もう一切変えたくない、誰の助言も耳に入らない、唯我独尊で
突っ走るタイプっていうのが珍しくないわけですが、
一方で、自分の接したあらゆる事象、あらゆる情報から
どしどし興味深いと思えるものを見つけ出し、それを自分の中で
消化し、役立てていくタイプっていうのもあるんですね。
どちらも正解なのだろうし、一人の創作の道のりの途中で
がらりとその手法を変える、ということもあるだろうし、
よほど気をつけて終始観察しているつもりでも、しょせん
他人からはその変化に気づかない場合もあると思います。
その変化は、創作活動だけにとどまらずに、人格や生活観も
引っ張り込んでしまう場合もあって、その衝撃ゆえに
「私の知っている(つもりだった)あの作品、あの作風、
あの人は、いったいどこへ」と
何やら虚しい気持ちに陥ることもありますね。
悲しい、というのとは異なる感情。
いずれにしても、いったん興味を持った人やものからは、
意識をそらさずにいよう、そうしたい、と思うし、逆に考えれば、
「意識をそらさずに息長くそれを観ていられるか」という点から
出会いそのものを選別することもあるのかな、と思います。
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