以前に読んだ『旅する力 深夜特急ノート』
( 沢木耕太郎・著)の中で紹介されていた本。
「ああ、これはぜひ全文を確認したい」と
思わせてくれたフレーズは、以下のとおりです。
「窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、
自分がなにを見てるかわかるかい? 自分自身を見てるんだ。
ものごとが、美しいとか、ロマンチックだとか、印象的とかに
見えるのは、自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、
感激があるときにかぎるのだ。
目で見てるのは、じつは自分の頭の中を見ているのだ」
若い主人公をサポートする伯父が語る言葉。
舞台は60年以上前のシカゴなのですが、現代の日本をそのまま描いた
小説にはたびたび居心地の悪さやわかり難さを感じるのに、
こういうのがスルスル読める理由は何なのか、と考えてしまいます。
たぶん、その時限りの風俗や流行や空気ではなく、‘ずっと変わらない何か’を
文字にとどめようとした跡を辿ることができれば、それはスルスルと
読めるのかもしれません。 その‘何か’は、人間自身に通ずるものかも。
※ 『シカゴ・ブルース』
フレドリック・ブラウン・著 青田勝・訳
創元推理文庫 1971年1月初版 600円+税
(原作初版は1947年。邦訳は絶版になっており、
私は図書館の閉架からお借りしました。)
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