5月末に仕事でこれまでにない不思議な新しい波がきて、
ジャンプ~ダイヴを決心。 夏に入るところから生活が一変、
夏が終わるまでいったいどのように過ごしたのか
記憶がまだらに飛んで空白部分があるほど忙しくなり、
同時に自分の「できなさ加減」と向かい合うことになりました。
(現在はまた普通の自分に戻っています。)
何かがかみ合わず、何かが狂っていたのでしょうが、
自分の能力がもっと高かったら、と何度思ったことか。
こんなにも適合しないということ自体がショックで。
よく「時が過ぎれば笑い話に」とか「耐えられない試練は無い」
などと言いますが、私は子どもの頃からこれらを疑っています。
どこかのCMみたいに「いろいろあったとしても、最後は
楽しんだもん勝ち!」なーんて気には未だなれないなぁ・・・。
ただ、「自分が何が好きで何が嫌なのか」
「何が許せて何が譲れないのか」ということなどが
今までよりもちょっぴり余計にわかったかもしれません。
たまたま街中の広告の中に見つけたマルティン・ルソーの
言葉が何度も私を支えてくれました。
「希望は強い勇気であり、新たな意思である」
Hoffnung aber ist ein starker Mut und neuer Wille.
Hope is strong courage, and it is new will.
そう。希望を目の前に掲げるにも勇気が要ります。本当に。
希望を掲げ続けるにはもっと勇気が要ると思います。
総じて、自分がどんどん臆病になっている気がします。
豊かなように見えて、自分の置かれている社会の中でも
真の意味での希望を見い出せない人がとても多いと感じます。
「日本には何でもある。物があふれかえっている。
唯一無いのが希望だ」という意味の言葉を聞いたのは
もう10年ほど前のことですが、それを何度も思い出しています。
それから、自分に余裕が無くなると、読書量が激減し、
日々のニュースさえチェックが甘くなり、大きな事故、事件、
災害、紛争他で苦しんでいる人たちのことを思いやることが
ほとんどできなくなりました。
もともと思うことくらいしかできることが無いというのに、
そこが弱くなってしまった今年後半。
まったくもって良くありませんでした。
ここで年もあらたまりますし、気持ちを仕切り直します。
皆さまの2015年はどのようなものだったでしょうか。
ご家族をなくされた方々からのお便りも何通もいただいて
それぞれのお淋しさを遠くからですが繰り返し想っています。
どうぞお元気で、良いお年をお迎えください。
そして、このブログにもまたどうぞ遊びにいらしてください。
自分の覚え書きの積み重ねであると同時に、ここは
皆でホッとできる場所にしたいといつも思っています。
こんばんわ。
カルビーナさんと同じような今年後半でした。仕事の依頼が押し寄せ、フリーランスなので無理を重ね、たいへんでした。忙しさのあまりうまくいかなくなった友人関係もあったり、「・・・いったいどのように過ごしたのか記憶がまだらに飛んで空白部分があるほど忙しくなり・・・」という日々でした。
来年は、私もゆとりをもった「仕事」とプライベートをこころがけたいと思ってます。
どうぞ、いいお年をお迎えくださいね。
投稿情報: konomi | 2015/12/30 20:38
konomiさん、コメントありがとうございました!
「記憶がまだらに飛んで空白部分が・・・」という状態を
「忙→こころがほろびる」と呼ぶんでしょうね。
今頃、良いお正月をお過ごしになっていることと思います。
本年もどうぞよろしく。
久しぶりにおしゃべりする時間も確保したいですよーーーっ! :-)
投稿情報: Calvina | 2016/01/02 06:44