ハタと思い至ったのですが、木下藤吉郎が織田信長の履物を
温めていたエピソード、あれって、藤吉郎のほうが
どんな風に出世していったか、という点から語られがちですよね。
信長のように、敏感にそのような「温まった草履」に気づく上司、
気づく人種って、いったいどのくらいいるのだろうか、あれは
信長の側からより深く考えるのも必要な話なのではなかろうか、と。
ありきたりの評価、マニュアルに沿った評価以外には、何も無い、
だから、評価される側も「気づいてもらえそうにもないこと」には
手をつけない、努力しない、という悪循環。 あっちにもこっちにも、
人に見えないところで動くチャッカリさんばっかり。
遠藤周作さんの『沈黙』じゃないけれど、‘転んで’あちら側に
取り込まれてしまいそうな人もいるのだろうな、と思う次第です。
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