最近引退を決めた人たちの年齢なども考え合わせながらネットサーフィン
していると、たけしさんが「最近のフィギュアスケートは
サーカスになってきた」とコメントされた時の記事を見つけました。
フィギュアに限らず、ダンスでも体操でも、女性らしい身体つきになる
前のほうが、やはり、飛んだり跳ねたり回ったり、という運動には
適していて、コンクールでもシニア部門よりジュニア部門のほうへ、
圧倒的に技術の優れた踊り手が集まってくることになります。
随分以前から、周知の事実です。
そして、年齢を重ねていくうちに、いわゆる円熟というものに向かって
身体的な能力や加齢とどう折り合いをつけてゆくのか、という課題を
常に抱えて進むことになり、そのような境地に行き着く前に次の人生を
考え始める人も当然多くなります。
もし、この先もジャンプの回転数や成功の可否が評価の大部分を占める
のであれば、チャレンジする者の年齢層はさらに低くなり、自動的に、
‘次の人生’を考えなくてはいけない時期も早まるでしょう。
その運動が身体にかける負担がその人の一生をどう左右するのか、
という問題に関しては、研究が追いついていないようですので、
そこもおおいに気になるところです。
選曲や振付に関しては、本人や周辺の人たちの好みや戦略があることは
承知のうえですが、「似合っているかどうか」という点でだけ鑑賞すると
「可哀想だな」としか思えないプログラムも多いなあ、と思います。
例えば、骨太のクラシック音楽の奥底に隠れた人生への絶望、
死の恐怖、あふれんばかりの愛情、この世を突き抜けそうな喜び。
大曲が若い演者を支え上げることもあり、演者の力量がそこに届かず、
印象も点数も沈むこともあります。
また、過去に好成績、高評価を得た曲を安易にひいてくる例も
後を絶ちません。
せめて、選手のキャラクター、選曲、振付がかみ合い、演技を
押し上げるものが与えられますように、といつも願っています。
その点では、外国人コーチや振付家から与えられたものよりも、
自国の指導者の仕事が功を奏している例も見受けられて、
そこにも、もう少しスポットライトが当てられれば、とも思います。