何十年か先に生まれて、自分の前を走っている 人たちと一緒に過ごせるということに感謝。 心が重くなる時もあるけれど、ぐるぐる巡る思いも 最後には感謝に向かっていき、落ち着くのかも。
乗り物の中で見た光景。ペアA:幼稚園にあがる前だと思われる小さな人とそのお母さん。「だっこのままがいい!ぜったいだっこ!!」と、お母さんが「重いから」とおろそうとすると、ピーピー泣いてだっこを強要。(高いところから、外の景色を眺めたい模様。)ペアB:Aと同じような年恰好の小さな人とそのお母さん。「だっこは嫌だ!降りる!降りる!降ろしてーっ!!」とだっこされたまま大暴れで大泣き。(気ままに周辺を歩き回りたい模様。)周辺の大人は、両方を間近に見守りながら、楽しく笑っておりましたとさ。
揚げ物やマヨネーズをとても美味しく感じる ようになってきました。 身体は本当に正直。 ご主人様よりも敏感に様々な変化をとらえて それにいちいち反応・対応してくれています。
未だ「芸術の秋が到来!」というところまで 季節が移り変わっているとは思えませんが 良いものをじっくり観る機会が増えているのは うれしい限りです。 絵葉書のフェルメールさんとブルーナさん 両者のコラボ絵葉書を飾ってみました。 オランダが誇るアーティストの時空を超えた 共演には心がおどります。考えた人、スゴイ。
中国から伝わったという重陽の節句。 タイミング良く、白菊(クラシカルな菊に 西洋のマーガレットが合わさったような 可愛らしいもの)を大きな束でいただきました。 小ぶりの花瓶にぎゅうっと詰めてみました。未だ酷暑が続く中、なかなか切り花を自分から購入して楽しむ、ということができずにいました(購入して飾っても、留守の間にあっという間に室温が上がり過ぎて駄目になります)し、育てていた朝顔も、今夏は暑過ぎるのか、「死にはしないがほとんど咲かず」という状態が続いていたので、このいただきものはとてもとてもうれしかったのでした。この節句を機に、秋のカーテンが開かれるように季節が変わることを期待します。
未だ夏の食べ物の方を身体が欲している感じ。 五感全部が「未だ秋は遠そうだ」と私に言います。
今日の黒いご飯は、祖母を偲ぶためのもの。 この黒豆は、昔から実家の近くで地道な商売を 続けておられた豆屋さんが炒ったもの。
今年完全閉店されたため、使うのはこれが最後。 しんみりさの度合いが倍増します。 黒いごはんには、卵の黄色が合うと思うの。
ここ2週間ほど、身辺が落ち着かないのと、バテているのと、PCの調子もいま一つ冴えないのと、その他の事情も重なって、なかなかこのページに入ってゆっくり物事を考えることができませんでした。 良くないとはわかっていても、気分がバテてしまい、いろいろなことと向き合うのがひどくおっくうになっているのでした。体調が深刻なほど悪化しているわけではなくても、普通に(近いくらい)仕事もこなしているように見えても、実は“なんだか冴えない”感じが着いて回っている・・・ま、「バテ」ですな。早い話。涼しくなるのを心待ちにしながら、丁寧な生活に戻していきましょう。
予定していなかったのに、急に家族の元へ。 家族のあり方も、事情も、刻々と変化しており、 その変化が必ずしも好ましいものではないことも ありますね。 皆が元気でいようとしていますが・・・。
この時期、供花のためにセットされたものが 花屋の店先にたくさん準備してありますが、 「これなら」と思えるものが無くて、 結局、一本、一本、選んで束ねてみました。 この蒸し暑さがもう少し柔らかければ、 日持ちもするでしょうに、そこが大変残念。