訃報届く。
華々しい活躍。好きだった色・柄・素材の数々。
今でも、初期KENZOの服や小物を手元に置いて
使っています。 パリで売れっ子になり、その地を
終の棲家に思い定めたなかで、祖国はどのように
賢三さんの心にあったのか、何度も考えます。
素適な夢と思い出をたくさんもたらしてくださったことに感謝。
世界的にファッションが元気だった時代に、その寵児として頂点へ駆け上がった
賢三さんの周辺には、多くのライバルやブランドがひしめきあっていたと
思います。 それが、それぞれをなおさら磨くことになっていました。
今は(あえて例を挙げませんが)「独り勝ち」と「亜流」しか
見あたらなくなったように思います。
あるいは、私のアンテナが錆びついて、次の‘芽’や原石に反応しにくくなって
いるのかもしれません。