お坊さんたちが、ずらりと並んで歌う写真を、
どこかで何度も見ていましたが、
実際にコンサートへ足を運ぶ機会は、なかなか訪れませんでした。
宗教とは切り離してお気楽に鑑賞できる機会を、
ずっと探していた、とも言えます。
先日、公共施設のホールで『弘法大師帰朝1200年記念
奉祝声明(しょうみょう)コンサート』を聴くことができました。
声明は、インドに発し、シルクロードを経て中国へ、
そして、1200年前に、弘法大師によって日本へ伝えられました。
実は、私の周囲には、まったく詳しい者がおりません。
「・・・ふーん、何?“坊さん・コーラス”か??」というレベルです。
でも、ここ数年、中央では、この声明のコンサートやCDが、
かなり多くの人の興味を集めている、と
何度もメディアでは紹介されているのです。
で、実際に行ってきました。興味深々で。
40~50名も、ずら~りとお坊さんが舞台上に並んで、
座ったまま(同じ節で)声を出すのもあれば、
客席の後方から通路を行進してきて、
シンパルみたいな鳴り物が派手な音を出したり、
真っ赤な高下駄と(オランダの)サボが合体したような
それはおもしろいポックリみたいなものを履いたお坊さんは、
行進する際に、タップダンスのような音を立てて
リズムをとっていたり。
(注:いくらなんでも、飛び跳ねたり、回ったりは、無し!)
オペラでいう「ソロ・パート」を朗々とうたうお坊さんは、
「本当にオペラとおんなじじゃない?」というような歌唱法を用いていて、
「ふーん。人間が声を使って何かを表現しようとする時、
発祥地や年代は違っても、考えることは、どこか共通しているのかなぁ」
とも思いました。
うた、というよりも、「音波」が、下腹のもっと下から、
ズーンとパワフルに刺激してくる感じ。
(まあねえ、言葉や意味が、わからんから、仕方ないんですけど。)
身体の細胞を「音波」が突き抜けていくような瞬間もあります。
昔の人は、「天のお恵みの声が、ありがたく聴こえてくる」と、
それはそれは敬意をもって大切にされていたのだと思います。
今でももちろん、信心深い方々の中には、数珠を手首に巻いたまま
かしこまってお聴きになっている方もありましたし、
私の左隣りの席のおじさんは、途中でソラで、そのうたを
口ずさんでおられました。
お坊さんの方でも、口伝えの声明を体得し、うたうことで、
全身全霊で、つまり五感以上のものをフル活用しながら、
修行されていたのかなあ、とも、ぼんやりながら感じたのでした。
経典(というのかどうかもわからない私・・・)の横っちょから、
ニョゴニョゴと記号のようなものが出ている手書きの書があり、
それが西洋音楽でいう「楽譜」の役割を果たしている、と初めて知りました。
これも、ちょっと見には、暗号のようにしか見えません。
近年、めったにお寺から公開されなかった仏さまが、
美術館で、しかも、裏側までも鑑賞できるディスプレイで展示されたり、
この声明も、普通のホールでコンサート形式で「演出したうえで上演」
されたりするようになりました。
ありがたいお坊さんがうたわれるところを、2階、3階の客席からですと
見下ろすような角度で鑑賞することになります。
昔では、考えられないことなのではないのでしょうか。
私のような「門外漢」に、このように門戸を開放してくださる機会が増えていることは、
大変ありがたいことです。
ちなみに、右隣りのおにいさんは、
上演中(2時間)ほとんどずーっと眠っておられましたね。
天女の夢、だったのかしら。
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