『学燈』というコンパクトな学術雑誌のために書かれた
木の考察、木へのこだわり、愛情をまとめたものを読みました。
文さんの晩年に書かれたものです。
屋久島や北海道へも足を伸ばします。
(体力と足腰の衰えで)地元の案内人に背負われることになっても、
とにもかくにも現場へ。
どうしても観たい古木や林を自分で確認しにゆきたい気持ちを
押さえられないことや、
現場で何をどう見つけて、それらをいちいちどう感じ、伝えたいのか、
ということを、丹念に(ある意味で執拗に)書き綴ったものは、
穏やかな迫力となって読む者を襲います。
このネットリとまとわりつくような執拗さは、
物書きには欠かせない性分のようなものでしょうか。
この季節にふさわしい一節を抜き書きしてみます。
・・・細かくいえば、咲きだそうとする花、
ひろがろうとする葉に一番心をひかれる。
蕾が花に、芽が葉になろうとする時、
彼等は決して手早く咲き、また伸びようとはしない。
花はきしむようにしてほころびはじめるし、
葉はたゆたいながらほぐれてくる。
用心深いとも、懸命な努力ともとれる、その手間取りである。
●『木』
幸田 文・著
新潮文庫
1995年12月発行 362円+税
ISBN-10: 4101116075
ISBN-13: 978-4101116075
(この本の写真は、当ブログ08年3月7日の項にご紹介しています。)
“手間取り”かぁ 深いですねぇ。
「手間」=「より良い結果」
とは限らない、むしろその逆もあったりする。
「手間ばっかり取らせやがって、コノヤロっ」とか、嬉しそうに言ってる場合もあるし。。。
投稿情報: あっちゃん | 2008/04/01 18:26
はい。深い言葉です。
幸田さんのこの本、文庫なのですが、
考え考え進まないと頭に入らないので
ものすごく「手間取りながら」読みました。
投稿情報: calvina | 2008/04/01 19:57