友人とコーヒーを飲みながら‘よもやま話’。
「今、どんなものが読みたいか。面白いと思うか」という話になりました。
こんな話になると、本当はいくら時間があっても足りません。
・少なくとも希望の光が最後に見えるようなもの。 (こんなご時勢ですからね。)
・昔、背伸びしながら読んで、「一応読んだな」と思っているもの(を、もう一度)。
(たぶん、その良さや深さをしっかり読み取るところまでいっていないから。)
・読んだことのない児童文学(と呼ばれているもの)を、これから。
(例えば、私は今、ムーミンの物語を初めて一から少しずつ読み進めています。
なんだかもったいなくて、わざとノロノロチビチビ読み進めています。
歳をとってからこれに出会って本当に良かった、と思います。コミックも読みたい!)
友人は、私よりもずっと読書家で、しかも小説好きです。
「この場面で、この空の色がどんなふうなのか、という表現、
その部分だけでも、涙があふれるくらいに感動することがあるけれど、
話の筋だけをなぞって、それだけのおもしろさだけでおしまい、って人も
随分いるよね。 読み手も書き手も」
小説も映画も舞台作品も、やはりきちんと作りこまれているものは、
ディテイルの一つ一つが、鑑賞者一人ひとりに働きかけ、
そして、各々が勝手な想像を膨らませ、想像し、
勝手な理由で感動することができるくらいに広く深いものなのだろう、
また、そうあって欲しい、というのが、私の考え方です。
日本語の訳がなんとも折り目正しく美しく思えて、
そこが好きで何度も何度も読み返す作品だってあるくらいです。
仲良しの友人たちから「こんなのおもしろかったよ」と教えてもらった作品は
たいていハズレが無いので、メモに残しておいて、少しずつ読んでいます。
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