8月23日(月)、名古屋市でスタートしたばかりの
あいちトリエンナーレ、オープニング作品である
『森の奥』を観てきました。
そして、この2週間、頭の中でいろいろ考えていました
(ので、ブログへアップするのが遅くなりました)。
「ロボットと人間が一緒に劇をやる」という作品を
平田オリザさんが準備している、ということは
ご本人の講座を昨秋受けた時に知りました。
「完成したその作品をぜひ観たい」と思って
スケジュールとにらめっこしながら狙っていたのです。
このトリエンナーレに参加するダンス・カンパニーなどは
ほとんど他でもチェックできているため、
「名古屋まで行くのなら、ここにしか無いものを」と。
ロボットは、2体が話の中に登場し、普通に演技しているように見えました。
実際には、バック・ステージに他にも何体も同じ形のものを予備で置いており、
最も状態の良いものを使うが、充電の具合で、話の最後のほうに差し掛かると
PC誤作動が起こりやすくなり、「ロボットが予定どおり動かなくなった場合の
別の筋書き(とエンディング)」というのが、別に準備されていたのだそうでした。
1時間半。 アフリカに生息する類人猿・ボノボの研究所に勤務する人間とロボットと
訪問者とのやりとりが展開してゆきます。
内容の軸は、「猿と人間とロボットに、本当に違いはあるのか」という問いでしょうか。
「この妙なトロイ‘話の間(ま)’は、わざとなのかな」と悩みながら観ました。
(この演劇用に一からロボットをあつらえることは、費用の点でも無理なので
使用するロボットの能力の最大限まで利用した結果が、この状態なのだ、
ロボットの声、話のスピード、その他に多分に制約があるのだ、と
平田さんはアフタートークで説明していました。)
「人間のコミュニケーションの中で、‘間(ま)’がいかに大切な役割を
担っているのか」ということが、改めて少し理解できたように思います。
ロボットと人間が共存する世界、その一例を具現化して見せた、という
平田さんの偉業には感心するものの、もともとの平田さんの評価の
高さはゆるぎなく、理論武装も堅固なものなので、
アフタートークに平田さんが出てきていろいろ説明することがないほうが、
純粋に「舞台の上で今起こったこと」だけを観て考える時間に
なったのではないかと、少々残念でした。
役者の身体能力や演技力にも、特別なレベルの高さを感じませんでした。
平田さん、という高評価が後ろ盾として無い場合、この人たちの評価は
まったく異なるものになるのではないか、ということさえ考えました。
最近、新しいダンスや演劇の世界では、身体の訓練に
ほとんど価値を見出さない---普通の人たちが普通に舞台に上がり
何かを伝えようとするだけ---というものも増えているように思います。
脚本家や振付家の仕事だけが評価される傾向も・・・。
つまり、他は押しなべて単なる作者の‘持ち駒’なのであって、
その意味では、なおさら「ロボットで事足りる」という扱いで充分なのです。
「それでも、こんなのもおもろいやんけ」と、どんどん思えるように、
自分は変化し得るのか。 その点も考えどころです。
左の写真は、あいちトリエンナーレの
公式サイト(ブログ)から拝借しています。